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排泄の我慢にストレス 便秘・胃腸の不調や病気の疑問について

胃腸の不調と疑問 目次

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人の世の不自由

 

胃腸の調子が悪いだのなんだの言うと、「食の欧米化」がどうのって話が出てきたりもしますが、個人的にはそれ以前の疑問があったり。

 

そもそも

 

排泄の我慢

 

これが人生の大前提になっているのがこの世界。

それだけでも状況がかなり悪化してしまうように感じます。

 

もうガスを出してしまいたい、今すぐにでもトイレへ行きたい、それを我慢することが当然である時点でもう、生き物として何かがおかしい気がしないでもない。

 

恐らく、誰でも強烈な腹痛を我慢するなどそういった経験があるものだと思います。

そして実際、強靭な意志によってそれに耐え、なんとかしてしまうものでしょう。

 

でも、その負担って絶対にまずいものですよね。

肉体的にも精神的にもとんでもないストレスなんじゃないかと。

 

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圧迫する衣類への疑問

 

排泄の疑問も大きいですが、もうひとつ疑問になるのが衣類。

 

自分が太っている人間であるというのも大きいですが、それにしてもまぁ、なんでこんなきっつい服が多いのだろうと驚くことが多い。

 

特にトランクスなど下着の類はそれが異常なレベルに感じますね。

「ここまできつくする!?」と困惑します。

サイズに関係なくゴムで強力に締める印象が強い。

 

そしてその上からまたきついものを着てそれをベルトで締める。

ず~っと座りっぱなしだったり運動量も減る。

血流も代謝も悪くなるのが常とか、そりゃ体おかしくなるよなと。

 

加えて前述のように排泄を我慢するのが当然な世の中。

自らの意思で不要な老廃物、毒素を体内に封じ込めるわけです。

これで健康など得られるのだろうかとやはり疑問になるところ。

 

衣類などについてもう少し言えば、靴下などもかなり圧迫感があったり、あれもしんどいですね。

体を温めるどころか血流が悪くなって逆効果なんじゃないかという疑問も湧いたり。

 

靴に関してもまったく足に合わないものを長時間にわたって履き続ける。

我慢して負担をかけ続けるなど、それが体に良いとはとても思えません。

 

大袈裟ではなく、骨格レベルで歪んでしまうぐらいに靴で圧迫している人もいるわけですし、血流の停滞や体の歪みがリスクに繋がることは言うまでもないんじゃないかと。

 

温度差の異常と疑問

 

熱いものから冷たいものまで自由自在な文明の世界。

でも結局、それを処理するのは自分の体であるのが現実。

 

そういった極端な温度差や変化を与えることが良いのかどうか、なんとも疑問になるところ。

 

まぁ、そうは言ってもこれは理屈的な考えであって、自分自身、冷たいものでシャキ!っと爽快な気分になるのは好きですし、ハフハフと熱い鍋など食べるのが楽しみだったりします。

 

体というのは便利で賢いものですから、常に一定の温度に保とうとしたり、色々と自動に調節してくれているのでしょう。

 

しかし、明らかに負担のかかるものでも体に入れてしまう、その調節のための労力が必要になるというのは、どう考えてもよろしくないですよね。

 

以前、冷え性で苦しんだことを記事にしましたが、ま~、なんであんな馬鹿なことをやってしまうのかと、自分のことながら呆れてしまいました。

 

「水を〇〇リットル飲むと良い」なんて話をよく耳にも目にもしますが、それが今現在の自分に合っていない、過剰摂取になってしまうのだとしたら、体に良いどころか毒にもなりかねませんよね。

 

それこそ、冷たい水を数リットル飲むとか、あっつあつのお茶を沢山飲むとか、それが体に良いとはとても思えません。

 

牛乳の疑問

 

牛乳が体に良いか悪いかという議論が盛んだったりしますし、実際、いろいろな説があって研究もされていることなんだと想像します。

 

ただ、ここでひとつ疑問が湧きます。

 

冷たい牛乳を一気に飲んでおいて、「思いっきり腹を下した・・牛乳なんて駄目だ・・・」なんて判断するのはどうなのかと。

 

ましてや、

 

「牛乳は体に悪いんだ!」

「人間には合わない飲み物だ!」

 

なんて極論に走ったりするのはあまりに馬鹿げている。

完全に論ずる部分が違ってしまっている。

 

アレルギーの問題や乳糖の消化がどうなんていう問題も大きいはずですし、科学的に考慮してどうにも合わない人がいるのも現実かもしれません。

 

それで自分の体には合わないと判断するならば、理知的な判断であると言えそうです。

そういった研究を真面目にすることには価値がある。

 

一方、無茶苦茶なことをやっておいてその考えに至るのはおかしい。

よく冷えた液体、しかも脂肪やらたんぱく質を含んだものを急激に摂取したら、何か起こって当然でしょうにと。

 

見方を変えれば、それだけ温度というのは体に負担をかける問題だとも言えそうですし、判断を狂わせる要素とも考えられる気がするところ。

 

何か食する際、自分の体調や体温などはもちろん、食物の温度を無視して「あれは体に良い!体に悪い!」なんて論じたり判断するのも、何かおかしなことをやってしまっているように感じる次第。

 

究極はほんと『水』ですよね。

 

温度によっては武器にすらなってしまいます。 

 

その一面だけを見て、

 

「水は体に悪い!」

「飲んじゃ駄目!」

 

なんて判断をするのはあまりに愚かに思えます。

 

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便秘になったことがない

 

自分が健康体かどうかは分かりませんが、とりあえず、便秘とはほぼ無縁に生きている人間なのは確かです。

 

薬やサプリの類も飲みません。

 

「この靴下きついなぁ・・」と思ったらゴムの部分を切ってしまったり、それはトランクスなど下着類においても同様ですね。

 

ぴっちぴちに貼り付くような衣類は大嫌いですし、余裕があるものが良い。

ベルトもフリーサイズのものが好きですし、その日の気分や体調によって微調整できる方が助かる。

 

後、これは単に自分の嗜好の話ですが、炭酸水がとにかく好きなので、もしかしたらその影響なんかもあるのかもしれませんね。

 

ジュースの類ではなく、本当に糖類は何も入ってない炭酸水。

常温でも普通に飲めるので、実はそれが良い可能性もありそうです。

 

便秘の症状が重い人は本当に何日も出ずに苦しむという話ですが、自分はほんと、そうなった記憶がありません。

 

前述の通り、排泄すら自由にできない、それを我慢することが一生の常でもあるこの世界。

 

要は『便意』を喪失させる、痛みにも鈍感になる、反応すらしなくなるようにトレーニングしてしまった感じの人が多いのかなと。

 

それがあまりに行き過ぎる、脳からの信号が強すぎて暴走してしまう場合、無意識にでも強烈なリミッターをかけたりストップさせる信号が働くようになり、極度の便秘性になるのかなと思うところでもあります。

 

まぁ、なんと言いますか、もう少し恥に寛容、大らかな世界だったら良いのかもしれませんよね。

 

あまりにも自分を偽ることが普通、我慢を強いることが当然になりすぎてしまうとやはり、体も心も壊れていくんじゃないかと感じます。

 

精神の力というのは本当にそれぐらい強力なもの。

自分で自分をあやめてしまうことも決して珍しくないという恐ろしい力です。

 

ストレスがあって当然という疑問

 

きっと、「炭酸なんて体に悪い!」なんていう意見も存在するはずですし、今回の一連の話についても異論・疑問を持ったり、それを感じて当然だとも思うところ。

 

こんなことを話している割にはそんな摂生なんかもしていない身ですし、実にテキトー。

他人の意見など真面目に聞くつもりもなかったりします。

 

なんでも食べ過ぎればそりゃ体に悪いし、自分に合わないものというのもあって当たり前。

 

時には腹を下すのもべつに珍しいことじゃないし、 むしろ悪いものはさっさと出ていってくれないと困るし、そんなもんだと認識しています。

 

ただ、一つ確かと言うか大いに疑問になるのは、

 

「なぜストレスと共に生きるのか?」

「それがある事が当たり前なのか?」

 

ということですね。

 

体がおかしくなる、精神がおかしくなる原因ってやっぱりこれが大きいはず。

 

にもかかわらず、なんでこいつにこんな取り憑かれているのか?

それがあることが当たり前だとなってしまうのか?

むしろあった方が良いなんて言われたりもするのか?

 

自分にはあまり理解できない話です。

 

苦痛が美徳であるという疑問

 

「不自由の中にこそ自由を見出す!」

 

なんて言うのも分かりますし、ただただ怠惰であることが良いとも言えないのは確かでしょう。

特に楽しくもなく、ぼ~っとテレビを眺めて一日を終えるとか、さすがに寂しい話。

 

でもそれにしたって、大きな不安を抱えたり苦痛の中で生きていくことが望ましいとはとても思えませんよね。

 

現実問題、自ら命を絶ってしまう人が多かったりもするこの世の中、食の欧米化がどうのとかそんなことを意識するより、もっと根本的にまずい部分、病んでいる何かをなんとかしていくべきなんじゃないかと考えます。

 

「みんな苦労している!」

「だから我慢しなさい!」

「楽しんじゃいけません!」

 

もうこういうのやめましょうよ、ほんと。

 

食事が大切なのは言うまでもありませんが、人間性を喪失させる、破壊するのを美徳としている限り、常に不安や病魔、命の危機と隣り合わせで生きていくことからは解放されなさそうです。

 

ただでさえ、生きていくのって大変なことなんだから、それをさらに自分達で首絞めて追い詰めていこうというのは明らかにおかしいですよね。

 

自らを律することができるのが人という存在だと思う一方、生物としてあまりに不自然であることが美しいとされるのもどうかと感じます。

 

他人の目に苦しんだり気を使いすぎたり、がんじがらめな一生を送るのもどうなのかと疑問になる次第。

 

「群を守るために個を犠牲にするのが当然」

これが原因でどれほどの歪みや病が起きるものなのか?

 

実に想像を絶しているのかもしれません。