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偏食の自由と料理 食べ物の好き嫌いがあるなら自分で作るのが一番

偏食の自由と料理 目次

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ネギが壊滅的に食べられない

 

もうほんと、子供の頃からこれだけは無理ですね。

どうやっても受け付けません。

 

同じく、玉ねぎも駄目だったりするのですが、姿形見えずに味も匂いもほとんどしなければ何とかなるので、まだほんのちょっとマシかもしれません。

 

それでも食べてしまったらずっと胸焼けを起こしたり、消化できなくて嫌な思いするのが正直な話。

根本的に体に合わないものなのだと思い知っています。

 

アレルギーレベルで体が拒否しているという印象。

 

そしてその中でもネギは特出して合いません。

どうやったって食べられないみたいです。

 

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無神経で想像力のない人間

 

こんなことを言うと、

 

「え!あんな美味しいのに!」

「子供じゃあるまいし!」

「それは人生損してる!」

 

なんて、したり顔で語ってくる輩がいるのもお約束。

自分は酒も飲まない人間なので、余計に出くわす可能性が高くなります。

 

「あんたは好きなんだろう」

 

「でも俺は嫌い」

 

これで済む話だと思うんですが、なんなんでしょうね?

やたらと上から目線になりたがったり、うざったく絡みたがる心理が不思議になる。

 

食事に対する自由を認めたがらない人種を相手にするのは疲れます。

そういう人間に時間を割いてストレスを抱えるのは確かに人生損だなと。

 

食事の強要と差別

 

アレルギーなどに理解のなかった時代、それでさぞ苦労した人もいるかと想像します。

 

食べられないものはどうやったって食べられません。

好み云々の問題ではなく、これは毒物であると体が拒絶したり反応を起こしてしまう。

 

そんなことも分からず、

 

「貧しい国の子供達は!」

 

なんて善人面、熱血面して言う教師とかもいましたね。

自分はアレルギー持ちではありませんが、素晴らしく差別的な扱いはよく受けたものです。 

それを正義だと思い込んでいる、己が絶対的に正しい存在なのだと悦に入っている姿は実に醜悪でした。

 

少食の人を苦しめる圧力なども実に恐ろしいものでしょうね。

 

「つまらん奴だ!」

 

とか偉そうにのたまう人間に気分を害されたことなどもあるのではないかと。

 

食べられないのに食べることを強要される。

謎な上から目線で卑下されるというのは本当に理不尽な話です。

 

たった一品、二品でも悲劇の種に

 

前述の通り、ネギと玉ねぎが駄目な自分。

これってのはけっこう致命傷です。

 

影響があって分かりやすい定番を軽く並べてみると、

 

・カレー、シチュー、グラタン、ピザ

・ラーメン、パスタ、うどん、そば

・ハンバーグ、コロッケ、メンチ

・スープ、汁物、鍋物、

 

こんなところが挙がってきますが、いや、きついですよね。

子供の頃は給食の時間で酷い目に遭いましたし、外食も気軽にできません。

 

前述の通り、食べられない人間に対する理解なんてないのが常ですし、これチャンスとばかりに説教を始めたり、面白がって強要してくる人間がいるのも常。

 

普通な感じの人でもなぜか攻撃的になったり、下卑た方向に人格が変わるのが実におかしな話。

生まれ育ち、家族の批判、人格攻撃まで普通に始めたりもするから恐ろしい。

 

しかし、それでもまぁ、今は随分と生きやすい時代になったとは実感します。

異常な強要や干渉をしてくる人間は明らかに減ってきているなと。

 

食事に対する蹂躙行為、暴力行為って本当に悪質です。

 

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食べるのが好きだから料理するように

 

食べられないものがあるけど、食べること自体が嫌いなわけではない。

むしろ好きだからこそ色々なものを食べたくなるし、美味しいものにも出会いたい。

 

しかし、自分にそう都合の良い世の中ではないのが常。

偏食というのはどうしたって面倒に扱われ、切り捨てられる側です。

 

だったらもう、

 

自分で作るしかない!

 

これですよね。

 

苦手・嫌い・食べられないものは使わず、自分が美味しく健康に頂くための料理を開発しようではないかと結論付けました。

 

おかげで「ネギ・玉ねぎを使わない料理なら任せろ!」って感じです。

 

食事・料理については今後また記事にしていく予定ですが、偏食だから諦めるのではなく、自分で好き勝手に作れるようになると楽しいですね。

 

人任せではなかなか美味しいものが食べられないのであれば、自分で作るのが一番。

 

たとえばカレー

 

子供の頃からカレーが苦手だった自分。

自ら作るようになってからは変わりましたが、これまた給食とかでは嫌な思いをしたものです。

 

市販のルーも大体は苦手だったりするので、そこがまた大変なところ。

ほとんどのルーって油・小麦粉・塩・砂糖が多いのが難点。

自分が食べると確実にもたれてしまうので、ルーはあまり使用しないようにしています。

 

定番の『S&Bの赤缶などを使うのでもいいですし、もちろん、単体で売っているスパイスを使うのも面白い。

 

その時の体調や気分に合わせて味を変えるのも良い感じです。

 

S&B カレー粉 84g

または、スパイスとルーとセットになってる『スパイスリゾートシリーズ』なんかを使うのも楽しい。

香り豊かなキーマカレーなんかもけっこう手軽に作ることができます。

 

S&B スパイスリゾートキーマカレー 91g

野菜に関しては玉ねぎはもちろん使わず、これもその時にある材料を使ったり、気分で変えることにしています。

 

にんじん、りんご、じゃがいも、大根など、おろしてよく使ったりもしますし、そこに野菜ジュースやトマトジュース、ヨーグルトなんかを加えても良いですね。

 

まぁ、野菜ジュースって玉ねぎが普通に入っていたりもするんですが、さすがにあそこまで存在感がないと大丈夫みたいです。

 

ちなみに自分が作るカレー。

面白いことに、一晩寝かせてもぜんぜん美味しくならなかったりします。

それをやっちゃうと、せっかくのスパイスの風味が飛んでしまうという。

 

スパイスの複雑な香ばしさと刺激が命なのに、それがなくなるものだからがっかりしてしまう。

これについては、インドカレーなどもそんな印象を受けるところ。

 

野菜ゴロゴロ・もったりとしたタイプが好きでないことなども含め、『カレー』と一口にしてもまったく違うものが出来上がるのだから面白い。

 

好き嫌いがあっても料理するのは自由。

それを楽しむのまた自由であり、多様な文化、価値観があって当然ではないかと。

 

ポーク、ビーフ、チキン、マトン、豆、甘口、辛口、激辛、なんでも有りだし、楽しんで作ります。

 

ピザの頼み方だって色々

 

先日プレーンピザをおすすめしたのも実は、今回のテーマがものすごく大きな理由だったり。

 

amai-jinsei.hatenablog.com

 

「オニオン抜き」ってのも簡単に出来はするんですが、そこを主体に作っている場合、どうも味がまとまらなかったり、間が抜けて美味しく完成されない印象があるわけです。

 

その点、プレーンってのは良いですね。

何も気をつかうことなく自由に楽しめます。

 

その段階ですでに完成されていることにも気付けたので、以前より遥かにお買い得に美味しく食べることが可能になりました。

 

詳しい話については上記の記事を見てもらうのが一番ですが、この場で言えるとしたら、

 

「自分なりに美味しく工夫する」

 

という気持ちを好き嫌いがあることによって養えたのは大きい。

 

基本的に怠惰な人間なので、なんでも食べられてしまうのでは逆に料理も工夫も何もしない人間になっていたでしょうね。

 

料理を楽しむということもしてなかっただろうなと。

 

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外食はリスクがあるから苦手

 

ラーメンなんかも本当は好きなんですが、どうにも「ネギ命!」って印象を受けます。

 

ネギ抜きで頼んだってそのまま入ってることが多いし、いちいちやり取りするのも面倒な為、ほぼラーメン屋に行くことはありません。

 

二郎ぐらいですかね?高い確率で安心なのは。

まぁ、あれはまたちょっと別ジャンルではありますが。

 

でも考えようによっちゃ、それで良かったとも思うんですよね。

 

自分のこの食欲と趣味全開で食べ歩き放題って感じだったら、ま~、とんでもない出費になってしまうのが目に見えてます。

 

『孤独のグルメごっこ』

 

とか好きなんですけど、これでなんでも食べられる身だったらシャレになってません。

 

健康を害していることも十分に考えられますし、財布も体もさぞかしひっどいことになっているんじゃないかと想像。

 

下手すりゃ、今こうやってブログ書けてなかったかもですね。

自分で料理するし、外食はそんなにしない。

それも好き嫌いの賜物だったと考えると面白いものです。

 

必然的に当たりの店しか行かなくなりますしね。

それだけ満足感も高くなったり、かえって経済的にもなります。

 

面倒くさい人間なのは確かですが、それによって面倒くさい存在や場所、それに関わる時間を遠ざけるセンサーやバリアが発動することにもなるので、意外と偏食というのも捨てたもんじゃないのかなって気がするところ。

 

食事と健康

 

そんなこんな、好き嫌いがあるから料理をするようになったわたくしです。

 

料理する際、分量とかは基本的に計りませんし、なるべく体調と気分に合わせた料理を心掛けている次第。

 

要は、

 

自分本位に食べることができる

 

これが凄く大きいですね。

 

人にあれやこれやを期待したり、気をつかわせてストレスになるなんてこともなく、自分で作って気楽にやれるからいい。

 

それが出来るようになったというのは本当に意味があるなと。

 

自分の性格を考えると、もっと精神的におかしくなっていても不思議ではないと思えるのですが、そうならないように体調に合わせた料理をしたり、体調も気持ちもそうやって自然と回復させているのかもしれません。

 

心の問題については気軽に語れるテーマでないことは間違いありませんし、「料理なんぞで!」と言いたくなる気持ちも分かります。

 

でも、食事って本当に大切なものだと自分は痛感しています。

 

それが、

 

自分の体と命

 

になるわけですからね。

 

そこを考慮せず、いきなり薬やサプリなどで何とかしようというのは、ちょっと違うかなと考えるところ。

 

料理を始める以前はしょっちゅう風邪をひいたり、薬なんかも飲んでいたものですが、自分で作るようになってからは驚くほど変わった実感があります。

 

まぁ、ついつい食べ過ぎてしまったり、美味しくしようとして体に悪い仕上がりになってしまうこともありますが、それならそれで次の日の料理をコントロールしたり、なるべく体調を崩さないことを意識するようにする。

 

「腹に入りゃなんでもいいよ」とはいきません。

その考えが立派であるとか格好いいとは自分には思えない。

 

物は考えようで生きやすくも楽しくもなる

 

やや精神論くさい話になってしまいますが、自分の欠点やコンプレックスなどの語尾に

 

「だから」

 

とか、

 

「だけど」

 

を加えるようにすると、人生、生きやすく楽しくなるかもしれません。

 

「自分は偏食・・・だから食べられない人の気持ちが分かる

「自分は偏食・・・だけど食べるのは好き。だから自分で作る」

「自分は偏食・・・だけどだからなんだ!関係あるかい!」

 

みたいなことが今回の記事にも成立するのではないかと。

なんだか自己啓発セミナーみたいな話になってますかね?

 

でもほんと、偏食や料理ひとつ取ってみても、人間というものについて考えたり触れることは可能だと思います。

 

それこそブログのネタにもなりますし、何かが食べられないことを個性にすらできる。

幸い、自分は美味しく野菜も頂けますし料理もできるので、食材のバランスも普通に考えることが可能です。

 

嫌い(と言うより不可能)なものの克服にエネルギー使ったりストレスなんか溜めるより、好きなものがあればそれでいい。

 

人間関係もそんな気がしますよね。

 

・万人と仲良くならなければいけない

・好き嫌いをしてはいけない

・自分の嗜好、思考を持ってはいけない

・人は皆、同一普遍の価値観を持つべき

 

など、そんな滅茶苦茶を大事にしようとするから精神が疲弊しきったり、消耗して壊れていってしまうように感じるところ。 

 

合わないものは合わない、嫌いなものは嫌い、それを許さず強制する方がよっぽど非人道的で危険な思考じゃないでしょうか。

 

ただし過剰な偏食アピールはどうかと思う

 

好き嫌いがあることを得意気にアピールしたり、

 

「うわ!そんなの食べんの!」 

「まっずそ~!!」

「ぜってー無理だわ俺ww」

 

みたいに、せっかく美味しく食べている人の邪魔をしたり、逆撫でするのは論外でしょう。

それは偏食云々・好き嫌いの問題ではなく人間としてまずいだろうと。

 

単純に不快。

 

食べられない物の強要は最低な行為ですが、一方、偏食を振りかざして食事とその時間をわざと壊そうとするのも最低な行為ではないかと考えます。

 

互いに理解がある方が良いですね。

それか、理解を持たないなら無理に干渉もしない。

どんな時も食事をする際は豊かで救われているような気持ちになる方がいい。

 

トラブルやストレスもなく、料理は美味しく、食事は充実した時間であってほしいものです。

 

「それは許さない!」

「有り得ない!」

「絶対に認めない!」

 

こんなのばかりでは疲れてしまいます。