不毛な宗教認定・信者認定 物事をいちいち疑い思考もしない退屈さ

不毛な懐疑 時間・精神の浪費 目次

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常に疑おうとする自分は疑わないのか

 

・自分の思考をしっかり身に付けている

・安易に流されない信念を持っている

・行動と経験を持って納得するようにしている

 

これが真に実践できているなら立派。

しかしながら、人というのはなかなかそうはなれないものです。

 

なんにでも懐疑的だったり、基本的に人を信用しない。

良く言えば用心深いとか慎重なんて考えられそうなこの姿勢。

大抵の場合、勇気も行動力もなかったり、それで終わってしまうかと想像。

 

胡散臭く怪しい情報を見抜く力。

それが身に付いているのは良いことかもしれません。

美味しそうな話に安易に飛び付くのは確かにどうかと思います。

 

一方、遊び心も楽しみも向上心も何もない。

常に斜に構えてすぐに否定に回る。

馬鹿にした姿勢ばかりとなると、とても褒められたものではないですよね。

 

情報の表面だけを見て自分の方が上だ頭がいいと満足。

極めたつもりになったり、即座に否定する側に回ったりなど、それは実にきっつい話。

 

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レッテル貼りとヒステリー

 

最近は不要な情報を仕入れないようにしている自分。

汚い言葉が飛び交う口論など見ても聞いても無駄。

ネットを利用するならばこそ、この姿勢は大事だと考えています。

 

それでも悪いものを100%避けられるわけではありません。

いつまでもなくならない信者認定、宗教認定、オカルト認定のような低レベルなレッテル貼り。

これを目の当たりにすると本当にうんざりしますね。

 

なんでしょう?

自分の方が偉い、賢いとアピールするのに便利なのかな?

そういう言葉を使うと強くなった気になるんでしょうねきっと。

しかしまぁ、よくもそんな幼稚なことをやってられるよなと。

 

・自分の理解の外にあったら宗教扱い

・褒めてる人間がいたら信者扱い

・何も知りもしないでオカルト扱い

 

この思考の退屈さ、つまらなさというのは常軌を逸しています。

正直、こういうことをすぐ言っちゃう人、判断を下す人の方がよっぽどカルト的な思考姿勢なんじゃないかと。

 

・異論反論は認めない

・自分が分からなければ異端視

・すぐにでも攻撃したい排除したい

 

これのどこがまともな思考なのか強い疑問が湧く次第。

意思の疎通ができない会話にならない恐ろしさを感じます。

 

『論破』なんて満足感を得ているつもりならば尚更ですね。

 

謙虚=控え目で大人しい?

 

『謙虚な人』と言えばそんなイメージが湧いてくるものでしょう。

口やかましく主張することもなく、己の実力を弁え態度に出すこともない。

そんなところを美徳として見るのではないかと。

 

ところがこれ、最近はなんだか凄く違和感を覚えるようになってきました。

リスクを恐れず声を出す人、貪欲に挑んでいく人、常に前進しようとする人。

そういった姿勢で生きる方がよっぽど謙虚なんじゃないかと感じるんですよね。

 

逆に、前述のような認定君・懐疑君みたいなのは傲慢・怠慢の極みな気がしてきます。

 

・理解できなければまず排除しようとする

・疑うばかりで何も取り入れようとしない

・揶揄するばかりで自らの意見は出さず責任も持たない

 

表面的な態度が物静かで口数が少なかったとしても中身がこれではきつい。

特にネットの中だと語気が荒くなる性質を持っていたりしたら余計にそう。

 

謙虚とはなんなのかと改めて考えてみると、

 

・好奇心旺盛であり行動し続けられる

・自分の未熟に気付き新たなものを取り入れる

・自信と誇りがあるからこそ声を大きくもできる

 

こういうことなのかと強く思う次第。

自虐や謙遜を美徳としようとするのは何か違うはず。

 

学ぶ姿勢の差と情報格差の現実

 

20年以上ベースという楽器を弾いているわたくし。

今の世の情報の多さにも良い道具が手軽に手に入ることにも驚愕します。

 

そしてそれを活かせる人というのは上手くなるのがめちゃくちゃ早い。

技術的なことに関する貪欲な若手の伸びって本当にとんでもないです。 

一昔前、二昔前に超絶技巧なんて言われていたものが当たり前になってしまうという恐ろしさ。

 

良い楽器も沢山あるし、プロアマ関係なく仕事をしてくれる優れた職人さんもいる。

環境をフル活用できる人間であれば、あっと言う間にどんどん上手くなっていける可能性があります。

 

一方、拒絶ばかりしてその豊かな恩恵を避けてしまうとものすごく損。

 

「興味はあるけど胡散臭くてなぁ・・・」

「これで上手くなれる?宗教っぽくね?」

「こんなのオカルトだろ・・意味ねーよ・・」

 

なんて立ち止まりっぱなしだと謙虚で挑戦的な人にはどんどん追い抜かれてしまう。

短期間の差であってもとても追い付けなくなってしまうと痛感します。

 

人脈なんかについてもそうなんでしょうね。 

謙虚で伸びるということは、それだけ良い縁にも運にも恵まれているという証明なんでしょう。

SNSなども駆使できる人はそれだけ繋がりを作りやすくなるし、さらなる広がりを生むことも可能になる。

 

つまりは魅力のある人はどんどん輝き、上にも駆け上がっていく。

それがないのであれば一生平凡か、それ以下から抜け出せなくなってしまう。

 

決して大袈裟な話ではなく、これが現実なのかなと。

 

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ある意味では健全

 

行動する人・努力をする人が身になりやすいという意味では、実は至極まっとうな気もするところでしょうか。

 

SNSなどでの発言も含め、全てがセルフプロモーションであると考えることもできそうですし、それが上手い人は本当に半端じゃない。

 

普通に考えて、

 

信者うざいわ宗教だろあれ

「あんなもんのどこがいいんだよ」

「俺って天邪鬼だからさぁ~」

 

みたいなことばかり主張してたらまぁ、見ててあんまり良い気はしないし、仲良くなりたいとも思いませんもんね。

 

ましてや、自分からはなんの情報も提供できず文句ばかり言っているのはまずい。

それが自己紹介と印象付けにもなってしまうのだから実はすごく怖いこと。

 

それだったら、

 

「これ最高!」

 

と自信満々に発信している方が魅力的だし興味も惹かれます。

そして実際に力を発揮、結果も出して支持を得ている人ってのはやっぱり凄い。

現状に満足せず常に上を見て人の役にも立てているというのはすごく立派。

 

評価されて然るべきではないかと。

 

面白い奴は強い

  

素直で謙虚で行動的

 

自分がこんなピュアで活動的な人間になれない分、こういう人は尊敬します。

 

短期間であっという間に進化してしまう、あっという間に遠いところにかけ上がっていってしまう人というのは、やっぱりモノが違うと痛感する次第。

 

素直・謙虚・行動的など、色々考えることもできます。

でも何よりは『面白い』ということでしょうか。

 

話を聞くだけでもそこにいるだけでもワクワクするようなそんなオーラ。

それをまとっている人間は問答無用で魅力的です。

 

負のオーラをまとっていてネガネガしてるやつでも『面白い』って要素があると絶対に違う。

それってのは要するに好きなものがあり、その好きなものをどこまでも愛し続け、そこに幸福も見い出しているということなのかもしれませんね。

 

一方、

 

・好奇心も遊び心も楽しみも何もない

・分からないものは排除して認めない

・人の楽しみも喜びも気にいらない

 

これはかなり気持ちも人生も病んでいると思います。

一刻も早く抜け出した方がいいし、もっと素直に遊ぶべきではないかと

 

情報が役に立つかどうかを判断するのは自分次第。

大した意味もなく信者だ宗教だと騒ぐ思考姿勢は恐ろしくつまらない。

はなから否定して何もしないのではそこで終わってしまう。

他者への懐疑と攻撃心しかないというのはあまりに悲しい。

それは立派でも格好よくも何でもなく幼稚なだけ。

 

誰も信じられない自分すら信じられない

・何を信じていいか分からないし信じるのが怖い

・信じるべき人もいない出会った試しもない

 

これというのは凄く不幸なことですよね。

 

思考を放棄して悟りを開いたつもりになったり、幸福と光を見出した気になるとか、そういうのは強烈にどうかとは思うところですが、それでもまぁ、常に疑い動けないよりはマシな気がします。

 

世の中もっと遊び心満載になった方がいい。

0か100でいちいちオカルト認定とかアホ臭くてやってられません。

好き嫌いで衝突するより好きと好きをぶつけ合った方が面白いですよ絶対。

才能がないとか躊躇して自分を卑下するのも退屈極まりない。

  

「面白そうじゃん!」

「やってみよう!」

「たぁ~のし~!!」

 

このシンプルさってのが実に人間らしく素敵なことではないかと。