ポングの笑い場

ベースオタクの息抜きだべり場・遊び場

「亀仙流は宗教」「かめはめ波はオカルト」 そんな悟空が見たいか?

つまらない悟空 目次

f:id:bakibakibass:20180516171527j:plain

嫌な孫悟空

 

もしも悟空がこんな奴だったら。

 

「かめはめ波とか出るわけない」

「亀仙流は宗教」

「武道会なんて興行に興味ない」

「仙豆とか超神水とか信者相手の詐欺」

「神とかピッコロを生んだ犯罪者」

「女なんか信用しないし不要」

「界王拳は本人ができないインチキ」

「元気玉は他力本願の役立たず」

「スーパーサイヤ人とか感情に流されるゴミ」

「ドラゴンボールはオカルト」

 

まぁ、これはこれで興味ありますが、あの悟空ではないですよね。

良い師に恵まれ、仲間と共にある。

世界を守り、家族を持ち、楽しく生きるのが悟空。

 

まず疑い、拒絶し、守りに入って行動もしない。

誰も信じず誰の力も借りようともしない。

修行もしないし、やり方も分からない。

効率のいい修行方法を調べてケチばかりつけてる。

 

そんな悟空だったらどんなことになるのか?

 

とりあえず筋斗雲には乗れなそうです。

だ~れも仲良くしてくれない、何も教えてくれないのは間違いなさそう。

弟子にしようと思う人、親切にしようという人、助けてあげようとなる人もいないでしょう。

 

クールでかっけーってのもいいですが、あまり斜に構えて生きるのもどうかと思うところ。

と言うかそれ、やってて面白いのか、なんか魅力があるのかと、非常に強く疑問が湧きます。

 

少なくとも、上記の悟空にはまったく魅力を感じません。

見ててイライラするだけかも?

 

【スポンサーリンク】

 

すぐ疑う人 ケチを付ける人

 

何かにつけてあれは宗教だ、オカルトだと言いたがる人がいますが、まぁ、本当につまらない考え方ですよね。

 

これ、なんでしょうね~?

たぶん『幼稚』ってことなのかな?

視野も世界も狭すぎるという。

 

自分で判断しているようでその実、「やだ!失敗したくない!」とか「叱られたら恥ずかしい!」みたいな感情を優先しているのかもしれません。

 

信じるものがなく疑うばかりだと行動ってできなくなりますよね

 

まず疑うことが目的になっていると本末転倒どころじゃないんだけど、それが正しい、格好いいことだと思いこんじゃったりすると重症。

そもそも信用する人がいない、信用するべきものに出会っていないってすごく寂しい話です。

 

今までさんざん酷い目に遭ってきたということなら、必要以上に用心深くなるのは分かります。

一方、特にそんなわけでもないのにまず疑い、意味も分からず価値も理解しようとしないなんてことでは、何も楽しくならないでしょう。

 

自分の知らない何かを褒める人間、それを認める行為は馬鹿だと思いこむ。

妄想じみた優位性に浸って満足し、価値観と思考の維持をしようとするなど、そんな傾向があるともはや病的ではないかと。

 

信じる心と幸福

 

こんなことを言ってる人がいたらとりあえず避けるでしょう。

 

自分だってそうです。

「え・・何言っちゃってんの・・」ってなります。

そういう勧誘は余所でやってくれって近寄りたくありません。

 

しかしですよ。

 

この言葉自体に強烈な違和感があるとか、そんなものは存在しないって真っ向から否定するとか、それというのもかなりやばい傾向だと思うわけです。

 

恐らく高い確率で、

 

不安

苦労

気に入らない

 

こういう言葉の方にリアリティや身近なものを感じることでしょう。

 

幸福だの信じるだの、胡散くさく見えてしかたない。

そんな美味い話も都合のいい現実もあるわけがないと考える方が馴染む、腑にも落ちる。

 

これってのはま~、いかに普段からネガティブな感情や言葉を使っているかということではないかと思うんですよね。

使っていると言うか、深層心理にまで食い込んでしまっていると判断すべきか、実は結構な病巣でもあるんじゃないかと。

 

日本は幸福度が低いなんて言うと、まず反論する人なんかもいますよね。

 

「謙虚なんだ!」

「わざわざアピールしない!」

「そんな国民性ではない!」

 

こんな感じに感情任せの結論ありきだと議論にもなりません。

 

いやいや、それまずいでしょと。

幸福とか言っちゃったら変に思われるとか、嫌味になる疎まれる、人に悪い印象を与えてしまうとか、その時点でなんかおかしいですよ。

 

余所は余所と言うのもそりゃそうですが、だからと言って、明らかに狂っているものを文化や共通認識であると誇ったり、免罪符にしていいわけがありません。

 

自らこの世を去るという、その選択をする人が数万人もいるという恐ろしい事実もあるこの世の中、放置していい問題ではないでしょう。

 

幸福感がないとかそれを拒絶するのが普通って、非常に危険な精神構造です。

それが当然、常識であるとか怒りだすなんて、ちょっと考えなくても変だと分かります。

 

攻撃が愛情表現とかいう病気

 

これもほんと、深刻な問題ですよね。

 

「好きだから叩くんだ!」

「愛してるからあえて苦しめるんだ!」

「成長してほしいから貶めてやる!」

 

こんな感じになってる人とか心当たりがあるでしょう。

まぁ、病的ですよね。しかもかなり性質悪く。

 

人間関係においてもそうですし、ファン心理なんかについてもそう。

とにかくボロクソにけなすという行為が好きな人がいるのが実に不思議。

 

さんざんこきおろしておきながら、「愛があるから」で許されると本気で思ってそうなのもいるからまた怖い。

  

お互いに分かって冗談言い合ってるとか、認め合って笑いながら済むなんてことなら、そりゃ話はぜんぜん違います。

 

一方、

 

「愛があるからやってるんだ!」

「こっちだって苦しいんだ!」

「これは優しさに満ちた鞭なんだ!」

 

こんな風に変換されてたり、自分に酔っちゃってるようだと、ま~、めちゃくちゃ性質が悪い。

そういや、こういう熱血気取りの頭悪そうな体育教師とかいましたわ。

 

著名人が亡くなった時なんかにもよくありますよね。

 

今までの誹謗中傷をなかったことのようにして「なんだかんだ好きだった」「惜しい人を亡くした」「ご冥福を」なんて手の平を返して良い人ぶるという現象。

 

攻撃しても自分が悪いとは思ってない、それどころか、悪いのを自覚しながらあえてやる自分が素晴らしい存在だと認識しちゃってるとか、かなりサイコ。

 

実際、犯罪行為にまで及ぶ人間までいたり、この種の病巣もまったくもって笑えません。

 

【スポンサーリンク】

 

素直に褒める・感謝をする

 

これもまた宗教的に思えそうな言葉ですかね?

なんじゃそりゃとなってしまう代表格かも?

 

しかしま~、叩くことが愛だのなんだの言ってないでもう、素直に人は褒めた方が絶対いいですよ。

 

「ありがとうございます」とか「感謝を」なんて節操なく付けちゃうような人はさすがにどうかとは思いますが、当たり前のように褒めて感謝してというのはべつにおかしな話ではない。

 

人も物も疑うばかりだったり、褒めることも感謝もしないって絶対に悲惨です。

それで幸福を拒絶して、愛情表現は攻撃になるとか、超絶やばいです。

ネタじゃありません。完全なる心の病気です。

 

何でもポジティブに変換しろとか、常に笑顔でなんてことは言いません、

そんなもん、自分だって御免です。

やたら明るく振る舞ってるやつとか逆に胡散くさく見えちゃいます。

そんなの無理にやろうとしたって壊れるだけ。

 

だからまぁ、そんな必死に頑張らず、ネガティブな言葉や感情をほんの少しずつでも減らす、なるべく良いところを見るようにする、良い言葉をちゃんと発言するってのでいいんじゃないかと。

 

前述の著名人が亡くなった時の話ではありませんが、「なんだかんだ好きだった・・・」なんて言ってないで、素直に今すぐ褒めろって話ですよね。

 

ちゃんと良い言葉にして示せばいいだろうに、なんで誹謗中傷のごとく叩いたり、それを愛だと勘違いするのだと不思議でなりません。

 

そういう意味じゃ、自分が自分自身のファンになってみると考えるのは面白そうです。

ためになる、力になる、好きになるファンとはどういうものか?

 

普段は誹謗中傷ばっかりしてるくせに、あの世に行ってから「けっこう好きだったわ~」とか言いだすファンとか嬉しくないですよね。

 

褒めるにも感謝するにも、生きている間に素直に伝えるべきでしょう。

 

信じるのが下手だと疑うのも下手になる

 

疑ってばかりだった人が信じる対象を見つけると逆にやばかったりするから怖い話。

 

騙されないだのなんだの散々言ってたのが、

 

「こんな自分でもようやく出会えた!」

「やっと真実を見つけられた!」

「これ運命だって分かった!」

 

みたいな感じに一気に傾いちゃうとかなり危険。  

 

まぁ、これはさすがに極端だけど、有り得ないことではない。

そんなことになるぐらいだったら、素直に素直になった方が良いですよね。

何かしら好きになれるものを持って、素直に楽しむのが一番です。

 

それがこじれちゃうから変なことになったりもするんですが、そんときゃ、またべつの好きなものを見つけるか、最初に好きになったもののまた別の好きなところを見つけてみると良い。

 

いびつに依存しようとするからおかしくなる。

都合のいい変化を強要するから狂ってしまう。

他者に喜びや幸福を要求するより、自分で見つけて遊んだ方が絶対に面白い。

 

好きなものがない、信じる対象が存在しない、実は疑い方も良く分かってないとか、これは本当に悲劇。

教わるべき人に教わらず、避けなければいけない対象に騙されるとか、なんとも悲しい話。

 

それでさらに人間不信になったら救われません。

自分すら信じる対象ではなく、常に疑い拒絶する対象であるとか、なんとも破滅的。

 

「騙されない!」と身構えるのは、逆に自信がなく不安も抱えている証拠なのかもしれませんね。

考えることも新しいことも苦手。

だから拒絶しておいた方がとりあえず楽だというのは問題でしょう

 

それで自分の力不足、勉強不足を自覚しているならまだしも、賢い生き方をしているとか、努力して堅実に生きてるなんて思いこんでたら笑えません。

 

「騙されたらどうするんだ!」と主張するんだったら、たくさん勉強すればいいんじゃないでしょうか?

周りに良い人が集まってくるようにしたらいいし、それで楽しくやれてたら馬鹿な詐欺とか悪人とかにも引っかからないんじゃないかと。

 

変にかっこつけてるより、素直で楽しい人間の方が何万倍もいい。

 

「亀仙人のじっちゃん!」

 

大人になっても素直に師匠を慕う悟空の方が格好良いし大好きですね。